2015年12月31日木曜日

一年の〆

例年恒例だった飛び込み仕事も不思議と舞い込むこともなく、ここ二日ばかりのんびりと仕事していた。

とりあえず一年を過ごして思うのは、年を取るごとに時間の経過が早まってると感じることだ。

大過なくとは言い難く、細々とした体調不安や仕事私事のゴタゴタ等例年通り各方面に迷惑をかけて今年ものんびり歩いてきた。
とりあえず大晦日に酒を飲める程度に収まったのは行幸だろう。

すきあらば飲むだろうというツッコミは野暮ってもんだぜ?(笑)


かけるつもりはなくとも、来年もどこかに迷惑をかけていくことになるんだろう。
その迷惑をなるべく小さくできないものかと横に広がる腹でずっと考えていきたいと思う。

対外活動減らせばいいのかな。


間もなく一年が終わる。
皆さんにとって来年もいい年でありますように。


良いお年を。

2015年12月30日水曜日

ニュル北原器の危うさ

ニュルブルクリンクというサーキットがドイツにある。
有料で一般に開放され観光名所としても走行可能なノルトシュライフェ(北コース)とGP用に整備されたコース双方を合わせた総称であるが、カーキチならば北コースのほうをよくご存じのことと思う。ニュル北などと称されることもある。

設計が古いことから高速な割に道幅は狭く、激しいアップダウンと狭いエスケープゾーンと無数のブラインドコーナーを持ち、路面は荒い。世界一タフなサーキットと称されるのも納得だ。
事故も少なくない。有名なものと言えば昨今映画にもなったニキ・ラウダの炎上を思い浮かべる人も多いと思う。

そんなタフなニュル北は自動車メーカーがテストでよく使う。高速からのブレーキ以外すべてをテストできるコースは他にないと言われるからだ。


ただ、このニュル北を指標とするのは、サーキットは公道ではないという点においてかなり危険じゃないかと考えている。


ニュルで何秒のラップを刻もうが日本の道路では100km/h以上出してはならない。

その先の速度域でどれほどハンドリングが鋭かろうが直線で安定していようがブレーキが平然と効こうが、余剰を余裕として性能や快適性に振り分けても基本的に無駄である。

その速度を楽しむためにはサーキットへ行くかサーキットの速度域を違法に甘受するかの二択しかない。
サーキットだけを原器にするのは非常に危険じゃないかと思うのだ。


もっとも、フェラーリに比べればニュル北を原器にするのはかなりマシだと思う。比較的フラットなフィオラノサーキットを基準にし続けた結果、ディフューザー等路面がフラットなことで成立するエアロパーツで構成されたマシンは危うさを感じさせる。
公道車の車体はエンジンのおまけと言い切ったエンツォのメーカーらしいと言えばらしいのだけれど。


そしてニュル北のタイムを狙う車両にしたせいで車両代は跳ね上がる。
イギリスでのシビックタイプRの価格は、スバルSTIから1000ポンド安いだけだ。
ここまでくるとどこを狙った車両なのかもわからない。安全に速くというなら4WDのスバルに分がある。そしてニュルで見せるシビックの切れ味は、公道ではちょっと試せない速度での話だろう。


昔のシビックはもう少しコゾー向けだっただろう。
気が付いたらちまちまとシビックも成長し、ちょっと小金を持った当時のコゾーが昔を懐かしんで買うような車になってないか?

サファリラリーが市販車の耐久テストを兼ねていた時代もあったことは認めるが、当時は箱根すら舗装されてなかった時代だ。サファリの過酷さが砂利道での耐久性を保証してくれるなら十分な実走テストとなるだろう。
ラリー好きだからちょっと身びいきがあることは認める(笑)

ニュルブルクリンクは過酷だ。
ただ、そのタイムを出せる技術があるからと言って誰もが高性能を堪能できるわけではない。

もう少し公道に目を向けたスポーツカーが作れないものか。
今のままではスポーツカーは手の届かぬ『酸っぱい葡萄』というだけでなく、下手に食べたら免許が危うくなる毒入りでしかないのだから。



さて。
最後にひとつの動画を紹介したい。





こちら、ナンバー付き市販車初のニュルブルクリンク北コース7分切りを達成したラディカルSR8のオンボード画像である。

何がすごいかって、この走行、一般解放の走行時間から某メーカーの貸し切りテストに移行するタイミングで、メーカーの厚意で貸し切り時間に食い込む許可をもらいワンラップだけ走行した際に叩き足した記録なことである。


ちなみに2015年末時点で、7分切りを達成している市販車はパガーニのサーキット専用車ゾンダRと、ラディカルが自車の記録を破るために持ち込んだ(ル・マンのサルテサーキット等)公道サーキット専用車SR8LM、ポルシェ918スパイダーフェラーリのサーキット専用車599XXのみとなる。

ラディカルはイギリスの自動車メーカーで、ポルシェやフェラーリ、パガーニとは規模が段違いに小さい。
だからこそ判官びいき気味な私は応援してやまないのである。



2015年12月17日木曜日

環境のためのうんぬんかんぬん

まず私はLED照明が苦手である。
バックライトにLEDが使われていると思しき液晶でも、どうにも目がいらいらする感覚にとらわれるのだ。なので昨今のLED照明推進にはちと疑問符を抱く。

LED照明の問題は、寿命が光源以外に大きく左右されることであろう。基板のどこかでよからぬ品質管理を行えば定期的に安くない照明本体の交換を強いられることになる。ちっともエコじゃない。


ただ、職場にLED照明の導入を勧誘する電話をお断りしたのは別の理由だ。
仕事の関係でちょっと特殊な蛍光管を使っているため、そこの代替が効くか否かが不安なだけである。

無論押し売り的な電話も反吐が出るほど嫌いなのだが。

2015年12月15日火曜日

【映画感想】007スペクター

ジェームズ・ボンドがメキシコでやった派手な『仕事』はかつてのMからの遺言だった。
その仕事で得た指輪が、スカイフォールから引きずる過去とボンドを結びつける。

ル・シッフル。ミスター・ホワイト。クァンタム。
そしてダブルオーナンバーを含むMI6の統廃合をもくろむMI5のマックス・デンビーが一つの線でつながったとき、過去の亡霊が蘇るのだ。

スペクター。
ジェームズ・ボンドはこの情報の化け物とどう戦うのか。



事前に言っておく。
私はどれほどがんばっても007シリーズには従うと決めている。諦めていただきたい。



オープニングからもうしびれっぱなしである。
民族音楽をバックにメキシコの街中を歩く仮面の男と、それを追いかけるように動く仮面の男女。男がビルへ入ったのを見届けて向かいのホテルへ入り、仮面舞踏会の中をすり抜けて部屋へと入る。
マスクを取ってボンドの顔が出てくる時、民族音楽がアレンジされた007のテーマへと変わっていくのはもうトリハダモンだ。

『クレイグ』ボンド初のガンバレルシークェンス、凝った映像つきのテーマミュージックとクラシカルな007のお約束は現代映画ファンにどう捉えられるか分からないが、旧来からのファンならニヤニヤが止まらない流れであろう。

ようやくガンバレルシークェンスが出てきたことから考えるに、カジノ・ロワイヤルから続いたボンドが007へと成長する物語としての区切りとなる作品である。それゆえにアクションは派手で、少ないながらも特殊アイテムに見せ場もあって懐かしい007を見ている感じだった。
嗚呼、300万ポンドか魚のえさに(笑)

知人のブログで見た「ジェイソン・ボーンを思わせるスパイアクションが、中盤から『ムーア』ボンドになる」という評価はあながち間違いではない。それに何の問題がある?


スペクターは『クレイグ』ボンドの成長を描く四部作の区切りとしての面のほかに、もう一つ旧体制の破壊の側面があると思う。
Mが代替わりし、Qが新生し、マネーペニーも代わり、最後には旧体制を象徴するものが文字通り破壊される。そりゃもうこてんぱんに。

むべなるかな。
007がかつて対峙してきたソ連などの冷戦時の仮想敵はもはやなく、麻薬王あたりはそろそろ架空の存在としても敵に回せない。
そもそもにして原作ではスペクター自体がスメルシュというソ連主体の公的機関だったのを、ソ連からの抗議を恐れて変更したものだ。
敵組織も情報がらみのものが多くなってきたのも時代の流れ、殺人許可証など時代遅れといっても過言ではなかろう。

しかし、Mははっきりと言い切る。
「殺す権利とは、殺さない権利でもある」

スパイも変遷していく。007はどうか?

「James bond will return.」の一文を信じて待つことにしたい。
その時にはあのクラシックなアストン・マーティンを無事にQの元へ戻してほしいものだ。


最後に。
Qにはジョン・クリースを格上げしてもよかったんじゃないかなと。

2015年12月7日月曜日

だらだら流し

気が付くと何の変哲もない日常を過ごし、ブログを書くのを忘れてしまっている。

正確に言うならず~~~~~~~っと艦これのイベントやってるだけなのだが(苦笑)、それ以外は全く普段と変わらぬ日常である。


今年は雪が遅かった。のみならず週間天気予報にはプラス二ケタの最高気温がいてけつかる。暖冬か否かは来月が決める。


こんなに初雪が遅いのも数十年ぶりだという話を聞いた。
思い出したのは、学生時代の二学期の終業式に自転車で通学した記憶である。その年が数十年前の異常気象なのだと言うなら、また珍しいことを覚えているものだと。


まだ新しいスタッドレスが届いていない。どうせ冬の間は安全運転だけど、精神的に落ち着かない。
師も走る十二月。のんびり歩いていこう。