2015年11月26日木曜日

【映画感想】コードネームU.N.C.L.E.

連続三本の映画感想となってしまい、ラリーどころか自動車の話もロクにしていない昨今、皆さまいかがおすごしでしょうか。

でも今回も懲りずに行くぜ。見てきたのは『コードネームU.N.C.L.E.』だ。


時は1963年。東西の冷戦が緊張感を増し、その接点であり最前線でもある東西に分かれたベルリンに壁が立ち上がった時代。
そんな難しい時期に東ベルリンを訪れた男がいる。
彼はCIAのるエージェント、ナポレオン・ソロ。核科学博士の娘ギャビーを亡命させ、父親が行っている新型核爆弾の開発を止めることが目的だ。
いざ脱出の段階に入った時、手荷物に盗聴器が仕掛けられていることに気付く。
KGBの追手は恐ろしい身体能力でソロとギャビーを追い詰めるも、すんでのところで壁越えに成功した。

次の任務の説明中に現れたのは、最年少でKGBに入隊したエージェント、イリヤ・クリヤキン。先日東ドイツで派手なチェイスをやらかした相手。

「まことに残念だが、アメリカとソ連が手を組むほかない」

ギャビーの父は東西どちらも関わらぬ場所で新型核爆弾の開発を行っていた。居場所を知るものは彼の兄弟にしてギャビーの叔父のみ。完成した核爆弾はナチスの残党に渡される。最悪でも核爆弾の運用は阻止しなければならない。
その上でギャビーの父を保護し、彼が核開発のデータを記録したディスクを回収すること。

ディスクの回収のためには相手を殺してもかまわない。

元金庫破りにしてプレイボーイ。有能な問題児、ナポレオン・ソロ。
驚くべき身体能力を持つが精神面に不安を持つイリヤ・クリヤキン。

世界の運命は二人に託された――。



冷戦の只中を舞台にしながら東西対決にせず、あえてナチスの残党を引っ張り出してきたところはかなりの好物。そして彼らは吸血鬼を従えて南米へ逃げるのである。
そしてナチスと対峙するために東西が協力するシークェンスなんかはもうたまらない。おかげで原作キャラのソロとイリヤが望まぬ協力体制を強いられる、バディムービーならではの対立も無理なく作り上げた。

主役二人の対比もいい。

犯罪者でありながら恩赦のためにスパイとして活躍するソロは、かつて第二次大戦時には従軍先のドイツで美術品専門の盗賊を行うなど、己が立ち位置を私用する描写がなされている。
そこはCIAにおいても変わらなかったようだが、お目こぼしもあって現状維持。ちょろまかした予算で服や装飾品に糸目をつけず浮名を流すことにも余念がない。

かたやイリヤはといえば、もともと良い家柄だったものが父の横領によりおじゃん。その後の収容所暮らしを経て家柄を取り戻そうと自らを抑圧した結果、精神面は未熟でもろいものの最年少でKGBに入隊できるターミネーターのごとき肉体と知識を持つにいたる。

そう、スパイ映画としては稀有なバディ・ムービーなのだ。


この二人を、当事の音楽と背景とファッションが包む。

頑張って当時の雰囲気を再現しようとするのはいい姿勢だと思う。おかげでカーチェイスシーンが少なくなっても仕方ないだろう。出てる車両はほとんど全部実走可能なホンモノだろうし。

カーキチのみなさんお見逃しなく。先代ムルティプラのタクシーなんてコアなものから、サーキットを走るフォーミュラ系に至るまで実走車。
強いていうなら序盤でカーチェイスに使いお茶目にクラッシュさせるトラバントにレプリカの疑いを持ったのだが、1991年まで製作していたことと2007年に復活するような話があったところから、当時モノとは言えなくとも修理しやすいモデルだったのだろう。


シナリオには満足している。
この手の複数の裏方が陰で静かにぶつかり合うタイプの映画では、その裏方の動きを把握あるいは推測するのも一仕事な作品も少なからず見受けられるが、この映画はガイ・リッチー監督の前作『シャーロック・ホームズ』シリーズでもやったようにいくつかの場面において分かりやすくプレイバックしてくれる。
おかげで観客はシーンにかじりついて覚える必要はない。肩の力を抜いて楽しめると思う。


ジョークに関しても満足だ。なぜこのシーンで大声で笑えないのかと悔やむくらいだ。
生真面目なイリヤが閉鎖された湾内で必死にボートチェイスを行う一方、ボートチェイスどころかボートから脱落したソロは近くに止まっていたトラックで身なりを整え、好みの音楽を聴くためにラジオを付け、あまつさえ運転手のものらしきサンドイッチやワインに舌鼓を打ちさえする。この対比と来たらもう大喝采である。これこそバディ・ムービーの見どころだ!(笑)


そしておそらく多く語られるであろう今年度のスパイムービーの傑作のひとつである『キングスマン』との対比も、うちでも語っておこうと思う。

キングスマンのコンセプトは「60年代のスパイとスパイムービーのテイストを現代劇に蘇らせる」である。
対してコートネームU.N.C.L.E.は「現代映画の文脈で、60年代のスパイムービーをリメイクする」だと感じた。
なのでキングスマンではパリッと決めたスパイそのものが現代から浮いて見えることを承知した上で、あえて周辺にチンピラピラとした人物をちりばめたことで紳士たるキングスマンを浮き上がらせた。現実離れしたキングスマンのアシを地に下ろすのはコリン・ファースの重厚な演技による。見事。
コートネームU.N.C.L.E.では、冷戦という背景もあってスパイはそこまで日常離れしているわけではない。伊達男がスパイをしていることが日常離れしているだけだ。

どちらも楽しめる仕上がりだ。よきかなよきかな。


最後に。
この映画のラストシーンはイスタンブールで終わる。
しかし原作の『0011ナポレオン・ソロ』の日本未公開の第一話は、イスタンブールから始まるのだ。
リブートではあるがあえて舞台を現代にしなかったのは英断だろう。続編も期待したいところである。ロシア語の勉強が実ったかすごく気になるし(謎)


そしてネタバレ的なネタを区切ってポロリ。




2015年11月8日日曜日

【映画感想】トランスポーター・イグニッション

ひとつ。契約は厳守する。
ひとつ。名前は聞かない。
ひとつ。荷物は開けない。
自分にルールを課す凄腕の運び屋フランク・マーティンは、依頼人と荷物のピックアップを依頼される。
待ち合わせ場所のモナコ銀行前に到着すると、乗り込んだのは三人の女性。

人質となったフランクの父の身柄と銃で契約は無理矢理更新され、フランクはロシアンマフィアとのもめ事に首をねじ込む羽目になる。



あれ、フランクやせた?
違う。主人公とっかえたリブートものだ。
ただし短く刈り込んだ髪と無精ひげにダークスーツを合わせ、精悍なイメージを持つ俳優を選んだ結果、どうしてもビジュアルがジェイソン・ステイサムに寄ることになった。
似てしまったことをどう考えるかは人それぞれだろう。しかし私はどうしてもジェイソン・ステイサムと比べてしまい、線が細くなったことに軽く落胆するのだ。

刈りこんだショートヘアと無精ひげってハリウッドのトレンドなんだろうか。ポール・ウォーカーなんかも晩年はこっち寄りだったような。


そしてクールなようでいてお人好しなフランクは、自分で決めたルールを破るか破られたときに厄介ごとと同衾する羽目になるのである。どう巻き込まれるかは劇場で。


カーチェイスには圧倒するようなパワー感は足りないが、アウディS8が道路狭しと振り回される様子は007シリーズにも通じる優雅さを覚える。そしてけちょんけちょんに蹴散らされる地元警察の残念ぶり。残念なのはもうワンシーンくらいカーチェイスを入れてほしかったかなーと。


最後に、カーアクションと並ぶトランスポーターの華のはずの格闘アクションには軽く落胆した。

全編見ればよく動いている。しかしアクションを理解するのは難しかった。
短いカットをスパスパと切り替えていくハリウッド流アクション撮りを流用するのは構わないと思う。ただしそのカットがあまりに細切れでカメラアングルが動き回るため視点が定まらず、シーンのつなぎもあまりうまくなく、結果として立ち回りが全面ぶつ切りに見えて仕方がない。
一対多のシーンやそこにある小道具を流用するファイトでぶつ切り傾向がひどい。まあつまりこの映画の格闘シーン全般がそんな感じ。

ひょっとしたら新フランク役のエド・スクレインがアクションシーンに慣れていないせいかもしれず。カット単位での見せ方を覚えたら化けるんだろうか。

アクションシーンの評価が辛いのは、今年のアクション映画が数年来の大豊作なせいだろうと思う。しかも直前に見たのはジョン・ウィックだしなー。


話そのものはけっこうおもしろい。敵味方ともに過去の因縁に振り回されるというトランスポーターに例のないストーリー展開で、二転三転しながら描かれる復讐劇に見入ってしまう。

それだけに格闘シーンの微妙な不出来が惜しい。本編中、そこだけは改善を要求したい。



2015年11月1日日曜日

【映画感想】ジョン・ウィック

彼は愛する女性とともに過ごすために、五年前、仕事を替えた。
彼は、その女性に心配されるほどスポーツカーに愛着を持っていた。

その女性が病魔に倒れ、彼がスポーツカーに傾倒することを心配した女性は、最期に子犬を送った。
彼は、その子犬とともに生きようと思った。

ロシアンマフィアのドラ息子に目をつけられたスポーツカーごと、子犬の命を奪われるまでは。

彼は全てを失った。

彼の名はジョン・ウィック。
五年前に引退した、殺し屋を狩る最強の殺し屋だ。

「誰もが『復活か?』と聞く。ああ、戻ってきたぜ!」

全てを失った殺し屋の復讐劇が始まる。



ああそうだ。戻ってきたな。
こんなキアヌ・リーブスを待ってた!!


キアヌ・リーブスが使うのは『ガンフー』と呼べる銃を伴う格闘技である。

ちょっと鼻の利く映画好きならリベリオンの『ガン=カタ』を思い出すだろう。
だがガン=カタが近接戦闘に二丁拳銃を持ち込むための手段だったのに対して、ガンフーは銃撃戦に格闘を組み込むという感覚である。

左手を重ねるように乗せた右手で、顔の前で拳銃を握る『Center Axis Rerock SYSTEM』というi接近戦向けの持ち方を行う。分かりづらければゲンドウポーズの右手に銃を握ると考えればいい。
方向転換のときにも銃を振り回す必要がなく、狭い場所でも素早い行動が可能になる。左右へのターゲットチェンジでは方向転換すらしなくてもいい。両手の中で銃を持ち帰れば済む。

一対多の戦闘においては、まず一番近い(不幸な)ターゲットに肉薄し、体術で制圧し無力化する。近付くのが困難なら一発撃ち込んでから接近する。音に気付いた他のターゲットが対応を考える間に二発以上打ち込んで仕留め、改めて制圧しているターゲットに弾丸をぶち込むのだ。
弾丸が尽きたら? リロードは体術で無力化しているうちに行えばいい。

画面に映えるカートのばらまきもやらない。無駄な二丁拳銃もやらない。それでも壁越しの射撃を察して回避と反撃かましたり、バック全開で跳ね飛ばした敵が車の屋根の転がるときにアサルトライフルで追撃してたりする。
地味なんだが、荒唐無稽だ。


過去とスポーツカーへの愛着を言葉なく綴り、失った妻への思いも描く。
引退したはずの『仕事』も半ば望んで、半ば強制的に復帰させられる。何より白眉なのは「復讐するは我にあり」を双方ともに通そうとして通せてしまう不条理である。


ズタボロになったジョン・ウィックが、日常へ戻ろうとするシーンが最後にある。

もう取り戻せない日常。欲しても戻らない日常。それでも戻りたかったんだ。


映画を見て損をするかって? アクション映画が好きなら見ない方が損をすると思うね。