2014年5月29日木曜日

ジャンルの衰退を防ぐために

たまには真面目に書いてみる。


斜陽と言われるジャンルがある。
が、その斜陽具合はちょっとしたきっかけがあれば復活したりする。最近ならミリタリージャンルが挙げられるだろう。
その起爆剤になったのは『萌え』だ。ガールズ&パンツァー艦隊これくしょんが萌えの層を取り込み、ミリタリーに新風を吹き込んだ。

ぶっちゃけると、自分はミリタリージャンルの方々は萌え方面とぶつからないと思っていたのだ。


例をあげよう。
「敵の美少女スナイパーが、単独でこちらの司令部を見下ろす山に潜伏している」という状況を聞いたとき、どう考えるか。
おそらくは美少女という項目から疑ってかかると思うのである。

まず一考。山にこもるスナイパーが擬装もなしにいるわけがない。モリゾウみたいな外見でどうやって美少女と判別する?
スナイパーの情報の時点でプロパガンダとして扱われたのか、情報戦の末に入手したものか、あるいは実際に遭遇した人間が生還しているのかという話になる。
プロパガンダなら潜伏するスナイパーが美少女である必要はない。凄腕のおっさんかもしれないし、スポッター(狙撃助手)を随行しているかもしれない。スナイパーではなくマークスマン(部隊随行の選抜射手)かもしれないし、スナイパーという情報を餌にした敵軍狩り部隊の運用の可能性だって出てくる。
情報が正確かどうかだってわからない。美少女である必然性すら疑う。
もちろん遭遇した人間が生還しているなら凄腕の看板を下ろすべきだろう(笑)


こういう(自分勝手な)考証の末にアリジゴクにはまっていくのがミリタリークラスタだとばかり思っていた。

自分は萌えとミリタリーは融合すると思っておらず、MC☆あくしずは妙な方向にすっ飛んで行った一部の暴走だと考えていたのだ――かなり本気で。もちろんMC☆あくしずがどうにも肌に合わなかったせいもあるのだが。

まあ冷静に考えてみれば萌えとミリタリーはクラスタの輪がそれなりに重なっていたのだけれど、萌えは萌え・ミリタリーはミリタリーで別物扱いしていたのだろう。
自分がそうだ。双方をリンクさせることなんて考えていなかった。

重なった部分で活動していた人は双方からそっぽを向かれなかなか光が当たらなかっただけで、ちょっとしたきっかけがあればいきなりメインストリームに躍り出る事もありうる。
今回はガルパンや艦これがそういうスポットライトの役目を果たしたのだろう。


さて。
どんなジャンルにも言える話だと思うが、きっかけは何であれ、せっかく興味を持ってくれたご新規さんを排除する方向に動くのだけはやめた方がいい。

古参のマニアは年季と知識があるだけにご新規さんを「ニワカ乙www」とかやりやすいのは分かる。しかし本気でやってしまえばジャンルは衰退の一途をたどるのだ。

いっぱしの知識を錦の御旗として振りかざす古参のみなさんにだってご新規さんだった時代が確実にあるはずだ。
その時古参のマニアに「ニワカ乙www」されて排除された同期や知人はいないか?
あるいは他ジャンルで同じことをされてジャンルに取りつけなかったことは?
ご新規さんを排除してジャンルの間口を狭めれば人口は増えず、むしろ古参のマニアは(物理的あるいは思想的に)死ぬか(人格的に)腐るか(ジャンル自体や状況に)飽きるかして減るしかないのだから。


前述のガルパンや艦これは、実は古参のマニアたちをうまくいなしていたりする。

ガルパンの各種戦車群はマニアのツッコミを避けるために、パーツを寄せ集める口実を設け、車体構成にあえて矛盾を作り上げることで考証を無意味なものにした。ヘッツァーに魔改造された38(t)戦車なんかがいい例だろう。

艦これに至っては史実を知らなくても「こういう船があった」という事実だけで十分ゲームが成り立っているのに、イラストの発注が鬼のこだわりを発揮したためにイラストから深読みを可能としている。海戦史への導入としてかなり優秀だ。
もちろんゲームとしてもそれなりにバランスがとれていることは大前提だ。


それらの影響で復刊した本を新参向けだからと排除するなんてもってのほかだ。愚行だ。


古参マニアの皆様方。いくら自分が通った道とはいえ、ガルパンから戦車に入る人を新参として排除しないでいただきたい。
艦これから海戦史に入る人を新参として排除しないでいただきたい。
自分がやられた嫌な思い出があるからやっている、というくだらない仕返しはジャンルを死滅させるだけだと早く気付いてほしい。
もちろん、ジャンルの死に水を取りたいなら話は別だが。



2014年5月24日土曜日

今回もテスト

ちょっと設定をいじくったので投稿してみるテスト。
うまくいったらおなぐさみ?



数分後追記。

今回Mixiの日記と連携させようと思ってMixiの設定をいじってみたんだが、RSSで連携させようとするとBloggerへのリンクが貼られるだけで更新した記事の自動ポストとかやってくれるわけじゃないのね。ブログ更新すると文章自動投下してくれるものとばっかり思ってた。
とりあえず連携は凍結。IFTTTあたりで連携させてくれないかなぁ。

2014年5月23日金曜日

【映画感想】アメイジング・スパイダーマン2

またしても映画感想はおっとり刀。
今回のお題はアメイジング・スパイダーマン2。サム・ライミ版からのリブート、その二作目である。

今回のヴィラン(悪役)はエレクトロとグリーンゴブリンだ。
CMに出てくるライノは忘れろ。幸せになれる。ほぼ使い捨てだから。

で、今回のスパイダーマン。内容はかなりウェットなすれ違いだ。

前作での引きもあり恋人のグウェンとは冒頭からいまいち気持ちがすれ違う。留学の話もピーターと出来ず、一旦は別れるが再び距離が縮まるようにも見える。

その捕り物中、落とした図面を拾われたことでファンとなった電気工事士マックスは、事故で電気ウナギの性質を取り込んでしまう。スパイダーマンの説得はわずかのところで警察に邪魔され、あえなくヴィランを誕生させてしまう。

そしてもう一人、数少ないピーターの友人ハリー・オズボーンは父ノーマンから技術的大企業オズコープと死を待つ遺伝病を受け継いでしまう。遺伝病の研究は途上、このままではハリーもいずれ父親同様病魔に蝕まれることは確定だ。
そこでハリーはオズコープで廃棄された研究の一つ、スーパースパイダーに目をつける。カート・コナーズ博士(前作のヴィラン『リザード』)の遺伝子研究の結果をもってスーパースパイダーの回復力を自信に移植できれば遺伝病の治療も可能ではないかと考えたのだ。
これまでの動物実験ではコナーズ博士を含め成功例はなかった。
例外はただ一人、スパイダーマンのみ。しかし彼は副作用を恐れて協力を保留する。
それを拒絶ととらえたノーマンは、オズコープに残るスーパースパイダーの毒を欲するようになる。自らの身を実験に供するために。


エレクトロ/マックス・ディロンを演じるジェイミー・フォックスの演技力がすさまじい。
技術はあるはずだが周囲に認められず、ある種妄想の世界と現実のすり合わせに失敗し、わずかなすれ違いを拒絶と認識して親愛を憎悪に変貌させるという一連のプロセスを、見ている側を完全に納得させつつも共感は得させないという絶妙な状態で見せてくれたのだ。
気持ちは分かる……でも引くわ、って感覚を覚えたことはないか? ディロンの性格はそのライン上にあった。

そしてアメイジング世界上では初代グリーン・ゴブリンとなるハリー・オズボーンの、死を待つよりは勝率の少ないギャンブルに身を投じたくなる気持ちもわかる。
そして、それを保留したスパイダーマン/ピーター・パーカーの気持ちも。友人だから確実に助けたいだろうし。

そういうすれ違いが実にウェットな展開をもたらす。だからヴィランを倒すのはともかく、あまりすっきりとはしない。特にエレクトロの勘違いから逆恨み、弁明の余地なく戦闘という展開にはどうにも腑に落ちない。


で、ウェットな展開をとりあえず横に置いておけば、アクションはやっぱり爽快なのだ。
電気の流れすら見通すスパイダーセンスの万能さにはご都合主義の臭いを感じるが、片方のウェブシューターを壊しながらも市民が感電しないようアクロバティックに糸で助けて回るシーンのスカッと感は絶妙である。


ちなみに今回、ピーターがスパイダーマンになれた理由がちょろっと解説される。こっちもやっぱりウェットなんだよなぁ……。


断っておく。この映画はアクションではスカッとできるが、ストーリーはかなり湿っぽい。
そういうアクションものが苦手なら避けてもいいかもしれないし万人向けとは言いがたいだろう。

私の評価?
それでも見に行った。満足した。それで十分だと思う。


知ってる人なら笑える映画の小ネタ。

最初にライノになる前のアレクセイを捕えるシーンがあるのだが、その時ピーターのスマホから流れる音楽は必聴だろう。アレをここで流すかと(笑)
そしてやっぱり出てきたスタン・リー! 今回はセリフもあるよ。

2014年5月12日月曜日

【映画感想】ロボコップ(リメイク版)

ハリウッドでもリメイクが流行している(と軽く言っているが根は相当ヤバげな問題を抱えている)昨今の流れに乗り、ついにリメイクされたロボコップ。
見逃す寸前まで放置していたのを滑り込みで見に行き、さらに感想は遅れて書くというぐだぐだっぷりに我ながらへこむ。けど書く。


テロと紛争の最前線ですら市民の捜査にロボット兵を使う時代、アメリカでは警官の犠牲者が増える一方。それは機械を信頼できないという市民と議員たちが殺しているのと同義だ――とあおるコメンテーター。
軍用ロボットの導入は反対されている。
ではどうする? 無残に殺されそうになった警官が、人の判断を持ったままロボットとして復活するなら市民の感情をあおらないで済むのではないか。
折しも(あるいは折悪しくも)うってつけの人材がいる。警察内部と犯罪組織の癒着を捜査中に爆弾で瀕死の重傷を負った警官アレックス・マーフィーに立てられた白羽の矢は、彼の運命を皮肉めいたものに変えていくのだ――。


とまあ旧来のSFに現代の情報戦を加えたような感じで始まるこの作品は、前作同様お子様厳禁。
前作は子供っぽいタイトルのみで映画化を拒否され続け、オランダ人監督ポール・バーホーベンが引き受けるまで難航した。そのくせ内容は現実に即したハードさだったから国によってはシーンのカットも行われている。
今作もその流れは十分引き継がれてし ま っ ている。いや、下手すると本気でトラウマ級。タイトルで軽めのアクションとか期待して子供連れてったら前作以上に泣くわ。
ロボコップの中身とか出す必要あったんですかねぇ。あの嫌いなピーナツバターの下りとか(謎)

そういうグロシーンを除くと、かなり上質なハードSFの仕立になっているのは前作と同じ。とはいえガジェットが進化している分、SF的な描写もかなり進歩している。
記憶や感情を失うのは事故由来ではなく、実に大企業的な胸糞悪い理由になっている。それだけに復活する描写には肩入れ出来る。ガンスピンがなくなったけど。

が、一方でありゃロボコップじゃないとも感じたのだ。
重苦しく動くロボコップが装甲で銃弾を弾き、脚の収納庫から引き抜いたオート9で3点バーストを悪漢どもに叩き込む不器用な戦い方が実に『らしかった』のだ。
今じゃ加速はする、弾丸はなるべく避ける、銃はマシンガンとの二丁使いになる、ドローシーンはわずか一回……さみし過ぎるわっ!!

というわけで、前作と比較すると微妙に寂しさを覚えなくはないが、良作ではあると思う。
一方で前述通りお子様厳禁なので見に行く相手は選ぶように。