2021年12月12日日曜日

スレスレ入院記・3

と言うわけで四回目である。ばっくなんばー


病室の引越しといえど対して持ち運ぶものはない。私物類を入れてあるロッカーとテレビや冷蔵庫がセットになったサイドボードの二つごと移動するだけである。
本人は……重いものを持ったら急性期病棟へ逆戻りの可能性もあるので手ぶらのまま歩行器使って移動。いや車椅子だったか?


と、その前に。
「コルセット出来上がりましたー」
と持ってこられたのはフルコン空手で装着してるフェイスマスクの巨大版である。

わき腹を通って胸骨と骨盤を繋ぐいびつな円形をした硬質フレームと折れたであろう背骨の部位にあてがうプレート、それを片側を固定した上下二本のベルトが繋いでいて、背中から回したベルトに開いた穴でわき腹の辺りで固定する、ギックリ腰用とは明らかに違うコルセットである。固定部位の位置関係をきっちりやりたかったからワンオフになってるわけだ。
こいつをベルトを締め気味にして装着して下さい、と。なるほど。
胸側に乗せたプレートを左手で押さえ、右手で下側のベルトを引けばおおよそ位置が固定される。その後上下位置の微調整をしてベルトの本締めと装着は一苦労であったものの、回数をこなせば徐々に慣れていくものである。慣れたくはなかったものだが。

何より一番困ったのは。
「コルセットは可能な限りつけたままにしておいてくださいね」
「寝るときも?」
「外していいのは着替えとお風呂のときくらいです」
寝辛ぇだろ!!
……と思ったのも当日の夕方くらいまで。昼寝して分かったが環境には慣れる。


引越し先は二人部屋。先輩に軽く挨拶。
向こうは足の骨折で私より長く入院しているが、進捗が芳しくないらしくまだ車椅子が手放せない。
そして二人部屋、当然狭い。こちらが廊下側に陣取ることになり、ベッドを配置すると柱の位置が悪いせいで車椅子の通過はかなりギリギリだった。
つまりちょこちょこぶつかるわけだ。
事情も分かってるしこちらは後から来た側、ある程度仕方ないとは覚悟しておく。
何よりぶつかるたびに謝罪があるので少々申し訳ない気分になるも当面はこの並びでいくしかない。


続いて始まるのが本格的なリハビリである。
これまでは基本安静だったので療法士さんたちが病室まで来てくれていたわけだが、今度は自分がリハビリ室まで移動しなければならないのだ。

リハビリの一環となるわけで移動に異論はない。
自分の落ちた脚力を除けばな。

たった数十メートルにも限界を感じながら歩くのだ。
「今のところは歩行器で移動してもらいますけど、早めに杖での移動に切り替えますよ」
「あー、分かりました。その辺のタイミングはお任せします」
「あとリハビリとして歩きの自主訓練もしてくださいね。病棟一周はおすすめです」
中庭があり一周できる構造だったが総合病院と言えど病院な訳でたいした距離でもないし、原因になったおつとめではもっと歩いてるし、いくら体力が落ちたとはいえ一周くらい楽勝。

と、思ってました。察しろ。な?

続いては食事。これもリハビリの一環として集会所へ移動して取ることになる。
今まで病室の向かいだったためほぼドアツードアで行けたトイレもやや遠くなるので、生活全般がリハビリと言える状況である。

人間の骨というものは一度折れればそう簡単にくっつかない。じわじわと治っていくもので、時間以外に解決手段がない。
今回の入院はコルセットが出来上がるまで砕けた背骨を悪化させないことと安静時になるべく体力を落とさないこと、完成後は落ちた体力を日常生活が可能なくらいまで戻すのが目的だ。
自分の場合「日常生活で悪化した様子がないからくっついたと判断できる」と診断されたのは退院後二ヶ月ほど経ってからのことなので、壊すは一瞬治すは長くを実感する羽目に陥ったわけだ。長ったらしい言い回しだが。

初日はトイレですらちょっとした旅にも感じたものだったが、それが日常となり、辛かった病棟一周も楽になり二周目へ突入したりとじわじわ動けるようになっていく。
「では今日から行き(下り)だけ階段を使いましょう」
「分かりましたー」
三階分の下りから始まり往復ともに階段となり、自主的にリハビリ室の前にある図書コーナーまで上り下りを繰り返すようになる。たまには本の交換って用事がなくても。


そしてここいらでもう一度動きがあった。
再度の引越しである。

2021年1月10日日曜日

明けて一週間も過ぎ

新年明けました(挨拶)

昨年の総括もすることなく年明けを迎えてしまったので、今からでも振り返ってみる。


というかだな、声を大にして総括すべき去年の出来事は一個しかない。


背骨圧迫骨折で入院。


何のひねりもないが個人だとこれが最大である。



公に絞れば昨年は新型コロナウィルスにぼてくりまわされた一年であった。主なイベントがことごとく中止に追い込まれるのは仕事的にも精神的にも追い込まれた。

ワクチンと治療薬、それに確度の高い検査方法が見つかるまでは自粛が続くのだろう。自粛終了時に心が折れないようにしなければならない。


後は例年通りどうにか今年一年もしのぎ切るだけだろう。来年から本気出す。

どうかしのぎ切って馬鹿話で笑い合える日が来ることを願う。

2020年12月27日日曜日

スレスレ入院記・2

というわけで前々回前回の続きである。


日常生活にはなはだ支障の出る現状はある程度受け入れるが、移動の困難な現状は受け入れがたく、無理矢理レベルで歩いてはいたものの限界が来る。
「というわけで歩行器借りられませんか?」
「歩行器は数が少なくてなかなか空きがないのよ。空いたら持ってくるけど、それまで車椅子置いとくから使ってねー」

……あれ?


そういえば風呂とかどうするんだろう。確かここは温泉があったはずだから、麦から作った泡のつくアイツで風呂上がりの一杯は無理でも温泉治療としゃれ込めるのではなかろうか。
「お風呂どうなるんでしょう」
「温泉とユニットバスと介助付きのお風呂がありますけどどうします?」
「温泉いいですねぇ。入れますか?」
「確認とってみます」

「すみませんが安静なので温泉は無理なようです。どうします?」
「……仕方ないので介助付きでお願いします」

介助付きのお風呂は機械浴である。全身をくまなく洗ってもらい、専用の車椅子で湯船にガシャコンとはめ込まれてお湯を充填されるような入り方をする。確かに一人で入れないから介助されるのはわかるのだが。
「いやー普段はデイサービスのお年寄りばっかりだから、こんな若い人洗うことめったにないわー」
「すみませんがよろしくお願いします」
おばちゃんが中心だったとはいえ気恥ずかしさは若干ある。それでも介助はこちらの希望な訳で、よろしくお願いする他はない。

あれ?


毎朝毎晩看護師さんが検診に来る。検温・血圧などを測定し体調を聞いていくのだが。
「体調どうですかー? 足のしびれとかないですかー?」
まあ初回はいい。ところが毎朝毎晩聞きこまれる。毎度毎度しびれはないと返しているのだが、聞かれるたびにじわじわと怖さが襲ってくるのだ。

あれ? 俺、自分で思ってるより重傷なん!?

確かに背骨だから下手打つと神経にさわるかもしれなかったわけで、今思うと重傷扱いも納得できるのだが、自覚するまでは一度骨折してる経験があっただけにヒビ入っただけで折れてるわけじゃないでしょ的な感じでかなり気楽に考えていたのだ。
今回は神経にさわる可能性はあるけれど、入院してるし緊急対応はしてもらえると信じたい。もちろん神経が無事であることが一番望ましいわけだが。


入院時の保証人を振る可能性も含めどんな迷惑をかけることになるか分からないから、早めに身内と親戚に連絡を取っておく。誰もがこちらの心配をしてくれるばかりか早々に顔を見に来てもらえたことも存外の喜び。
何より一番ありがたかったのは、県内へ再就職していた身内の来訪である。比較的休日の融通が利く仕事らしく、平日に来てもらって公共系の手続きなどなどを委任状抜きで頼めるのは本気で助かることだったのだ。
もちろん心配は家にいる同居人のこともあろう。その節はいろいろとお世話になりました。

前回の入院時よりこなすことが増えているが、生活環境が少々変わったためだ。まあいろいろありましてね。


体が硬いとリハビリ時にわめき、三度三度手をかけなくても出てくることに感謝しつつもご飯がおいしくないと不満を抱き、スマホで艦これやらFGOやらに耽溺……は出来なかったけどちょっとだけやりこんだり、友人に持ち込んでもらった本を読んだりしていると、時間はあっという間に過ぎてたまるかこんちくしょう。
ここまでルーチンワークが続けばいくらなんでも飽きる。
暇つぶしに一眠りを決め込んでも人の往来で目は覚める。ましてや(普段を考えると)超健康的な生活を送っているので睡眠は十分足りているのだ、下手に昼寝を決め込むと夜に眠れなくなる。元々身じろぎで痛みが出るので熟睡できてないからますます困る。

現状、基本なすすべなし。ダラダラするにも限度があります。
友人に持ってきてもらった本は二周できたくらいに時間があったのだ(笑)

まあそうやってえっちらおっちら生活を続けること一週間、ようやく初日に型をとったコルセットが出来上がってきた。
それに合わせて病室を引っ越すことになった。
これまでいたのが重傷や重病の患者がまず入る急性期病棟という病室だったのだ。まあつまり自分の状況はそのレベルで切羽詰っていたということである。

リハビリ担当も替わるとのことで、これまでの方と軽く別れの挨拶。
移動先は回復期病棟。ようやくリハビリの始まりである。


ってここで年越しちまうよ!?

長々と書いている駄文であるが、年末年始の挨拶を挟んで再開の予定である。今しばらくお付き合い願いたい。

2020年5月1日金曜日

スレスレ入院記・1

というわけで前回の続きである。


病室のベッド脇に用意された食事をもそもそ食べ終わった後、この食器をどうしたらいいのかの指示がなかったことに気付いた。

前の入院のときは後半だとナースセンターに持ってきてくれって言われてたよなぁ)
という記憶のもと、どうせ食事は椅子に座って食べるんだからベッドへの移動と立ち上がる手間は同じと考えナースセンターまで持って行くことにした。

「え? 何で食器を持ってきたんですか!?」
さっき外出から戻った報告をしたときに指示がなかったから部屋に置いといていいのかわからないからですよ。

「ご飯は明日からも部屋にお持ちしますが、次からは持ってこなくていいですからね?」
はーい。


さて今回は計画的だった割にそこそこ急な入院となってしまったため、忘れ物がいくつか散見される。なくてもどうにかなるけどあったほうが生活の潤いが増すヤツ。

つまり、その。なんだ。
前回同様忘れたのだ。また。本を。
少しは学習しておけ馬鹿。

今回の問題は歩く自由が奪われていることである。
基本ベッドの上で、トイレと洗面関係、あと水が飲みたいときには最寄の洗面所へ行ってもいい程度の安静が要求されている。
つまりは図書コーナーがあろうとも当面は本を借りにいけない。

……誰かこいつにつける薬をお持ちではありませんかー? 9mmパラベラムあたりがよく効くと思いますよー?


数日は全面スマホに頼るとして、その後は時間に融通が利きそうな友人に本の差し入れを頼むことにした。
他にも今日で手配がつかなかったことをいくつか脳内のメモにまとめて早々に寝てしまうことにする。見たいテレビもないし衛星放送も入らないし見たくない番組を見てもテレビカードは減る。起きてるといくらでもパケットが雲散霧消していくし。


明けて翌日、同居人のために各所へ手配を行う。こういう無理難題を振られることに慣れているのか各所の皆様方には同情的かつ柔軟に受け止めていただけたことは幸いである。

一番困ったのは同居人の食事だ。
普段通りならば朝はまあ何か適当に食べている。昼は出先で食べたり家で食べたりと安定しないがどうにかやっているらしい。
問題になるのは夜。入院前に手近なところで手配を試みたのだが融通が利かずに断念したのだ。木曜に発注かけても再来週の月曜スタートではあまりにあまりである。
とりあえずそちらも伝手を頼ってどうにか翌日夜から宅配してもらえる弁当屋さんとの契約が整い一安心。
「つーわけで今日一日何とかしのいでくれ」
『わかった』
そのわかったにはひとかけらの信頼もおけないが、現状では信じるほかない。


自宅の懸念がいくつか解消されたので、続いては自分の懸念を解消する。
とはいえ基本は安静、トイレまでの移動すら辛いし座るのすらやんわり止められてるし背中が痛くて寝返りも打てないから基本は上を向いているだけ。スマホか本か寝るかの三択しかないが本に関しては友人を待つのみだ。
トイレも予兆を感じたらすぐに行くようにした。何しろ起き上がることすら一仕事。歩くのも速度を上げられないので、もうちょいねばれるとか考えてると起き上がりやゆっくり移動中にクライシスを迎えることになりかねん。

いくつかの懸念に入るのは体力や運動機能の低下だろう。少なくともコルセットの出来上がるまでの一週間の安静でただでさえなまっている体は確実になまる。
というわけで入院二日目からリハビリ開始である。
回数は午前と午後の一回ずつ、作業療法士と理学療法士がどちらかで来てくれることになった。
この両者は『体の動きを落とさないようにする』作業療法士と『筋力を落とさないようにする』理学療法士という感じだったように記憶している。
当初は病室のベッド上での運動のみ。ざっくり言えば軽い筋トレと柔軟なわけだが、このりゅう、生来体は硬い(某四人組の月光風)。そこに背中の痛みが加わると両者ともかなりの苦痛でございました。
ただまあやるべきことはこれしかない。とにかく作業療法と理学療法で体力を維持しつつ、コルセット待ちの日々を送ることになる。

他にも不調が出たのだが、あまりきれいな話でもないので念のため折りたたんでおく。



2020年3月7日土曜日

スレスレ入院記・序章

先日、少々派手な負傷での入院からどうにか退院できた。
やらかした事・やらかした内容は誰の身にも起こりうることだと思うが、結構ヤバい状況から本気で運よく戻ってこれたのだろうことは理解している。
今回は入院へ至るまでの経緯を自戒を込めて書いていきたい。


と言っても事の起こりは実はただの一撃である。


ちょこちょことツイートしたことのある週二回の歩き回る朝のおつとめの時、考え事をしながらアパートの階段を下っていた。ちょっと意地が悪い設計の、ほとんど屋内にありながらも最後数段が外に露出している階段だ。つまりはこの時期のことその数段が凍結していたのだ。
雪が少ないこともあって以外にうるさいピンスパイクの長靴ではなく比較的滑りやすい短靴を履いていったことも災いした。

このあたりの記憶があいまいになっている。
たぶん最後の一段だと思うのだが、ひょっとしたら二段目か三段目だったかもしれない。
足を滑らせた、と気が付いたときには一番下の地面に尻餅をついていた。かなり脂肪分豊かな自分が落ちたのだからかなりの音がしたに違いない。
重い荷物を持っていながら次の準備のために曲げていた左ひじを一番下の段に打ち付けてすりむき、その影響で持ち上がったらしい肩の筋が痛む。
何より背中が痛い。腰の上という妙な位置に激痛が走る。
アパートの住民以外の交通を妨げない位置だったために、深呼吸を繰り返しつつ遠慮なくしばし硬直していた。

五分ばかり座り込んでいただろうか。ほんのりと、幾分とではあるが痛みが落ち着いてきた。というより痛みに慣れてきたのだろう。
まずは立ち上がる。何度か経験のあるえぐい腰痛の時のような動きづらさはあるがどうにかなった。
少し歩いてみる。痛みは厳しいが、歩けないほどではない。
問題はこのおつとめがまだ3/4ほど残っていることと、その間けっこうな重さの荷物を持ち歩かなければならないことである。

覚悟を決めた。
荷物は配り歩く類のものなので進めば軽くなる。歩けるなら進もう。責任を果たして、それから病院だ。

と思っていたらおつとめ後の本業が運よくというか運悪くというかやたら忙しく、その日は通院を断念せざるを得なかった。
いちおう通院する旨はおつとめ元へと連絡しておくものの、寝返りもかなわぬほど痛む背中を抱えながらやや早めにベッドへ向かう。
妙に体が冷えているような気がした。布団の温まりが悪く、痛みと相まってしばらく寝付けなかった。


翌日はあまり忙しくなさげだったので午後から整形外科へ向かう。母が通っていて好感触だったのと、口コミでの評判が良かったところだ。
症状を医師に話すと早々にMRIとレントゲン撮影へと促された。

この時点までは背中の筋でも痛めたか、悪ければぎっくり腰くらいだろうと楽天的に考えていた。
現実はどちらも選択しなかった。俺の悪い想像なんぞ軽く飛び越えてくれた。

「ああ、背骨の圧迫骨折ですねー。こことここです。分かります?」
はぁ!?

レントゲンならば素人目にもはっきりわかる、高校以来の骨折である。そりゃ痛いわ。というか状況が分かったらなおさら痛い。
そして昨夜の冷えと寝付けなさにも納得がいった。高校当時も変な冷えを感じていたのだ。
とはいえ神経に触ってないためか医師の見立てでは手術抜きでの温存治療。なのでコルセットを装着しての安静が基本方針となる。
こちらはまた運よく翌日午前中にコルセット制作技師が来院するとのことで、再来院を約束しつつ考える時間が出来た。
安静、ほぼイコールで仕事不能。一人仕事ゆえに休めば閉店せざるを得ない。家で寝込むといってもどうせ休まらないだろうし、通院するよりは思い切って入院した方が身体的にも楽なんじゃなかろうかと考えた。生命保険も使えるし。

その上ここへ来てクルマが足を引っ張る。
普段なら全く問題ないHT81Sスイフトスポーツの、交換した特注ダートラ用サスペンションの乗り心地が異常なほどに腰にくる。リアシートに乗せた友人が「(持病の)尿管結石降りるわ!」と言う珍言を吐いたのもいまさらながら納得だ。ちょっとしたギャップでミシリという背中を抱えながらでは通院もかなりキツいぞ、というのも入院の理由のひとつ。
普段の動きは最高だけどな! 普段の動きは最高だけどな!!


さらに翌日。熟考の結果をぶちまけた。
「というわけで入院を考えてます」
「なるほど分かりました。ですがうちには入院設備ないので転院になります。コルセットはそちらで作ってください。こちらで連絡しておくので整形外科の先生が待っていてくれます」
話が早い。
というわけで整形外科より自宅へほど近い総合病院へと案内されるままに移動、とんとんとこちらでもMRIとレントゲンを撮るに至る。
早々に診察し骨折を確認、こちらに常駐しているらしいコルセット制作技師に自分の胴体の型を取ってもらった。ワンオフとかめったにない経験である。
一息つくころにはすでに昼どころか午後も二時を突破した頃合だったろうか。
「ではベッドが確保できたので移動しますねー」

え? 色々調整して入院日決めるもんじゃないの? 即日なの?
ねえ待って。今日のものになるたぁ聞いてねーぞ!?

「昼ごはんまだでしょうから売店か食堂で何か買って食べててください」
「すみませんが、入院の道具一切持ってきてないので外出許可下さい」
「え?」
「え?」
「あのぉ……入院希望でしたよね?」
「まさか帰宅も出来ずに今いきなり入院させられるとは思ってもいませんでした」

某天パローカルタレントの名言が頭をよぎって仕方がない。
「いやこらぁ拉〇だよ!」

言っても埒は開かないのでとりあえず二時間ほどの予定で外出許可をもぎ取った。
「家の人に持ってきてもらえないんですか?」
「免許ないんですよ」
ただの通院のつもりだったから車で行ってたので戻しておきたいし、他にも事情はあったのだが思い切ってカット。

入院に必要なものリストを眺め、ありもので足りるかを脳内で確認する。
どうして自分で買ったボストンバッグが別用途に使われているんだろう。俺は何回かしか使ってないのにだいぶくたびれてきてんぞおい。
やむを得ず一回り小さいバッグに着替えなど処々詰め込み、とても入りそうにないシャンプーなどの詰まった風呂道具セットとゴミ箱を抱え、予定時間をオーバーしつつもタクシーにて病院へ戻った。

夕食時間から遅れたこともあって、病室のテーブルにはやや冷めた夕食が準備されていた。
塩っ気が薄く、歯ごたえが足りず、ご飯はやや柔らかめのものだった。冷めてることでまたどうにも気になってしまった。長く付き合う数少ない楽しみのはずの食事が初手からこれとは、いやはやどうにも。

ここから今回の入院の始まりである。