2016年7月19日火曜日

批評と批判と否定の間に

「何が面白いのかわからない。あんなものは自分で作ったなぞなぞを自分で解いているだけではないか。大した流行もせず、すぐに消えていくに違いない」

何の本で読んだか記憶から抜け落ちている上にうろ覚えであるが、これは推理小説への否定とも取れる批判である。


基本的に、他人の創作物に関しては批判を公にするつもりはない。
自分が楽しめたものは楽しめたと言い、そこに(なるべく)軽く不平不満を入れることはあっても、自分が楽しめなかったものは文字にしない。自分に合わないだけで他人が楽しんでいるのならそれでいいと思うからだ。

どうしてもこき下ろすものは、作品が作品としての体をなしてないものだけにしている。
二十年以上前に出版されたとある翻訳小説だけは、内容以前に文体が読書を拒絶する乱れ方だったのでしばらくこき下ろしの対象にしているのだが、それだって作品名は公開する気はない。
原作は広い世界観を持った長編のはずなのに、翻訳小説が早期に終わったところを見ると色々とあったのだろうなあと邪推できる。


批判をなるべく避けるのは、自分がよい批判を出来る人間ではないと自覚しているからだ。

さじ加減を間違うと批判は容易に否定に出来る。発信側は批判のつもりでも受信側が否定ととらえる場合もあれば、誰が見たって超ド級の否定なのに発信側だけが批判だと言い張るパターンだってちょこちょこ見られる。そして後半のパターンは作品どころか作者に対する攻撃と否定を含むことも多い。


他人の創作物を紹介するなら、なるべくなら楽しさを共有したいんだ。







ただまあリアルじゃ吐けない愚痴をツイッターにこぼすのは容赦あるいはミュートでしのいでほしいなーと願っております。

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